ゴールデンウイークに
万博記念公園「ロハスフェスタ万博」に娘(陶芸家)が出店で
孫たちと応援に〜 ♪ 😊
ゴールデンウイークに
万博記念公園「ロハスフェスタ万博」に娘(陶芸家)が出店で
孫たちと応援に〜 ♪ 😊
デザイン3年・コピーライター5年・営業7年と
業界では云われるが、、、
例にもれず 私も約3年のプロ生活で
自信(過信:笑)を持ち、仲の良い仲間とデザイン事務所を設立。
21歳の若さで 今思い返せば無謀に近い行為であったが、
なかなか面白い仕事と巡り逢い、経験も出来た。
僕の担当は近鉄グループを中心にしていた。
その当時の球団キャラクターである「バッファ君」はわたしの作品で
元々は、沿線(近鉄)に住む子ども達への少年野球の
参加募集のポスターにカットとして描いた物で
それを代理店が勝手に使うと云う暴挙ではあったが・・・
業界の資料年鑑「マーク・シンボル・ロゴタイプ」の球団編で
制作者として名前を載せてもらう事で甘んじるコトに・・・
球団のマークは、あの「芸術は爆発だ!」の岡本太郎氏
キャラクター制作は白川吉男と並列である。
*その後は近鉄グループで色々なのキャラクターグッズ開発がされ
デパートで売られていたらしい。
ロイヤリティー契約をしていれば、、、ひと財産が出来ていた〜(涙笑)
自分の名前が本に載る事の喜びを覚え、その後の仕事で制作した
マークやロゴタイプを応募!多数の掲載で喜んでいた。
この気持ちよさは何なのダ・・・! と、
自我に目覚める。
・過去の顔「模索編」
・現在の顔「転換編」
・未来の顔「まわり道編」
へと、ぼちぼち 綴っていきます。
ホナ又
・
働くと云う事は、学も無い僕には
町工場で汗を流すイメージしか想像できなかった。
デザインの専門学校(本科2年制)へ入学をしたものの
卒業後の進路など、ナ〜ンも考える事なくデッサンやらデザインの基礎
溝サシ(溝の付いた尺:昔は竹のサシにも付いていた)、
烏口(ペンの様な物)の使い方やらを一般の美術時間の如く
得意な事なので楽しく毎日を過ごしていた。
卒業を控えた2年生の暮れのある日、
先生に作品をファイルにまとめて来る様に云われ(何のコッチャ〜?)の
疑問も持つ事無く僕は(この時はまだ16歳の素直で純な少年:笑)翌日先生の基へ
連れていかれた所は大阪の天満橋にある日刊工業新聞社
(現在、大阪テレビ局が有る所の方が分かりやすいか・・)の
裏に有る少々薄汚れたビルの4階。
デザイン事務所の面接であった。
学校の授業と実社会の仕事の点と点として結び、組み立てる事等
当時のぼくには出来なかったのであるが、
常に授業の作品の評価はAで(咳払い:笑)そのデザイン事務所に即採用が決定した。
ネクタイを締め、サッソウと通勤する自分の姿を想像して・・・嬉しくて、
初任給の話しも上の空で聞いていたが
提示された金額が エエッエ、なななんと「そんなに貰えるのですか」と云っていた。
*当時の大卒の初任給と同じ金額(27.000円)
1970,EXPO70大阪万博の前年の年の事です。
しかし給与の額よりも何よりも、
この時程 絵を描く事の才能を有り難く思ったことはない。ホント、感謝感謝である。
就職先も決り「ホッと一服」
煙草のおいしさに目覚める。
小学生の頃は幾日も声を発する事なく生活するような無口で内気な子が、
中学の初の美術の時間で石膏デッサン中の大事件!
なんと〜クラスの女子全員が僕の描く絵に見入っている。
僕にとっては 摩訶不思議な?出来事・・・である。
これを機にクラスの女の子の憧れの的になった。
けっして大袈裟ではなく「明るい未来の幕開け」。第一モテ期(笑)を体感。
♀
小学生高学年(4年生)になると通常の授業以外に
週一回のクラブ活動が増えた。(今の小学校も?)
各クラスから何名づつと枠があるので、活発な生徒達は・・・次々と
野球部やら放送部やらと決めてゆく。
僕といえば ジ〜〜ィと黙ったまま(どうして良いやらすら分からず)
ホームルームの時間も終了に迫り、僕ひとりが決っていなかった。
「白川くんは・・・」と先生に聞かれ
それでも黙っていると先生は残っている部の中から選び
「白川くんは園芸部ネ」と笑顔で決めてくれ、なぜか 恥ずかしながら “ホッ” とする。
部活は校舎の廻りの花壇の手入れが主であった様な気がする。
ある部活の日に、花の成長記録を作るスケッチをする事に、画用紙と
色鉛筆を与えられ描き始める・・・
なぜか気持ち良くエンピツが動く。
描いていたパンジーの花の独特なあのグラデェーションが重ね塗りで
コッテリと美しく表現出来、自分自身ビックリ!そっくりに
描き上げることが出来・・・・ウン? 僕って絵の天才!?と自分の才能に目覚める。
5年生に無事進級(笑)し、クラブ活動の選択時に
なんと、初めての自主発言!「美術部に入りたい」と・・・伝える。
すんなり美術部に入部が決り 初のクラブ活動。
さすがに部には絵の上手な上級生下級生含め、総勢30人は居たと思う
初の部活は自由作品作り
(*実はこの日の事しか覚えていない(笑)それだけ衝撃的な日であったのだろう。)
僕は自分が何を描いたのかも覚えていないのだが、
2人の6年生の作品に見入ってしまった。
一人は、今で云うアニメチックなタッチで雪舟の少年期のエピソード画であった。
その当時の僕には雪舟なんて知る余地もなかったですが
画面構成も色使いも完璧であった事を今も目に浮かぶのです。
もう一人は絵の具を食器洗いのスポンジにチューブからダイレクトに
何色かひねり出し、それを半円を描く様に画用紙の隅から何遍も繰り返し
サ〜〜と、塗り付けて行く。
なんと美しいグラデーションパターン!なんと云う発想!と、驚かされたが、
なぜか自分の居場所を見つけたきがした。
何となくではあるがデザインに目覚めた・・・時かも。
つづく
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