バッファ君の生みの親です。白川よしお[23歳の時の子どもです:笑]
「芸術は 爆 発 ダ 〜 ァ !」の岡本太郎氏と並列で名前を記載され、喜んだ昔の〜想いで(笑)
1982年度版/資料|マーク|シンボル|ロゴタイプ|カラー編
発行/株式会社グラフィック社
定価/15.000円
バブル時代の産物!なんという高額〜〜
今は、古書で1.000円
おおぉ〜昔の話し:私の宝物
むかしむかし、若くしてデザイン事務所を構えていた頃じゃった
そのころ近鉄グループの仕事をしていたとな
人気のない球団の広報部は近鉄バファローズファンの裾野を広げる為にあれやこれやと
知恵をだしあっていたそうじゃ
そこで、バファローズ少年野球の選手募集ポスターを作り
近鉄沿線の各駅に掲示することになったそうじゃ
若者はそのポスターに丹誠込めて元気な野球少年を描いたそうじゃ
そのポスターで応募が殺到?したそうじゃ
その後、描かれた元気な少年は、球団のペットマークに昇格採用され
いろんなグッズ展開をされて、近鉄デパート等で販売もされ
ながくながくファンに愛されたそうじゃ
しかし、球団がなくなってしまって、その少年とはあえなくなってしまったが
いつまでも、ファンの心にはあの勇姿が焼き付いているそうじゃ
その当時、大してプロ野球に興味がなかった私は、その当時の展開に
ほとんど興味が無く….近鉄球団が無くなって…つくずく思うのでした
あぁー記念になんでグッズ集めをしておかなかったのか(プレミア付いとるやろな〜)と
辛うじてあるのが、ペットマーク入りのトランプ(いずれ孫にあげるため大事に保管)
それと、デザイン業界の年間資料マーク・シンボル・ロゴ、プロ野球編で
芸術は爆発だ〜ぁの岡本太郎氏(球団マーク:デザイン)と
名前が並列でならんでいることじゃ(笑)
※こぼれ話し:その当時の代理店/斎美社*の営業さんが球団ペットマークに採用と云う
話しなど聞かされず、指を5本にし再度描いて欲しいと依頼され8000円 で描き直したのです。
(球団シンボルマークデザイン料10万円:下記参照)なら、僕のペット マークは妥当?
(今思えば、ヒャ〜阿呆な ですが:笑)
*(株)メディアート→現在(株)アド近鉄
【ウィキペディア】より
▪ 球団のシンボルマーク「猛牛マーク」(球団広報物では「ツノマーク」と表記)は千葉茂が監督に就任した1959年に、「バファロー」の新チーム名称に合わせて千葉の親友だった岡本太郎がデザイン。千葉の述懐に依ると銀座のバーで、デザイン料10万円で依頼したと言う。以降球団が解散する2004年まで、球団旗やユニフォームなどで使われ続けた。日本一に輝いた時に姿を公開することとなっていた「猛牛マーク」を横から見たような「サブマーク」が有ったが、公開されず球団と共に消えた。西武グループ系のようにグループのバスやタクシーなどに猛牛マークを入れる例は少なく、運送会社である近鉄物流(現 近物レックス)の車両や伝票に見られた程度であった。近鉄物流も球団解散の直前にグループを離れ、同社のトラックに猛牛マークは残っていたが、現在はKBRに変更されている。
▪ 大阪ドーム移転前(1976年~1996年)のマスコットはユニフォームを着た少年「バッファくん」(近鉄の野球帽・ユニフォームを着、バットとグラブを持ち片足を上げた少年。スパイクはアシックス)。初期のデザインではバットを握った右手の指本数が1本足りなかったが、後に改作された。着ぐるみも作られ、ファン感謝デーなどでも登場していた。このマスコットに似ているということで、中村紀洋の愛称になったこともある。なお、バッファくん登場前には鼻息をふかして突進する姿の猛牛のマスコットを使っており( – 1975年)、1975年後期優勝の近鉄電車の記念乗車券券面には西本幸雄監督の顔と伴に印刷されている。
これが、宝物&誕生秘話じゃ ほな又
続編です。
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バッファくんの人形を持っています。
本当ですか!大切にされていたんですね。
よければ、写真をブログに掲載したいのですがいかがでしょう。